はじめに
近年、医薬品開発や公衆衛生研究の現場で、生物統計家(Biostatistician)の需要は急速に高まっています。臨床試験データの解析、治験計画の立案、規制当局への申請資料作成など、その役割は多岐にわたります。
しかし、統計学の知識だけでは不十分で、医薬品開発の流れや規制要件、プログラミングスキル、さらにはコミュニケーション能力まで幅広く求められるのが特徴です。
本記事では、生物統計家を目指す方が効率的かつ着実にスキルを身につけるための勉強法を、段階的に解説します。
基礎固めー数学と統計学の理解
数学の基礎
生物統計の土台は数学です。特に以下の分野は必須です。
- 確率論:確率分布、条件付き確率、ベイズの定理
 - 線形代数:行列演算、固有値・固有ベクトル(多変量解析の基礎)
 - 微分積分:確率密度関数の導出、最尤推定の計算
 - 数理最適化:モデル推定や機械学習アルゴリズムの理解に必要
 
これらは大学初年度〜中級レベルの教科書で十分ですが、統計学と並行して学ぶと理解が深まります。これらの分野は深くまで勉強する必要はなく、統計学を勉強していく中で出てくるものが理解できるぐらいの理解ができているならよいかと思います。これらの中で特に確率論は勉強しておくとよいかと思います。理由として、確率論が統計学の一番の基礎となっているためです。
統計学の基礎
生物統計家としての第一歩は、統計学の基本概念を正確に理解することです。
- 記述統計(平均、分散、中央値、四分位数)
 - 推測統計(母集団と標本、信頼区間、仮説検定)
 - 回帰分析(単回帰、多重回帰、ロジスティック回帰)
 - 分散分析(ANOVA、ANCOVA)
 - 生存時間解析(Kaplan–Meier曲線、Cox比例ハザードモデル等)
 
- 実データを使って手を動かす(RやSASで再現)
→実際にデータを使って学習した解析を行ってみることで何をやっているのか、どのような結果が得られて、どのような解釈ができるかを学ぶことができます。 - 数式だけでなく、「なぜその手法を使うのか」という背景を理解する
→実務ではその解析を使うことの根拠を示したり、説明する機会が多くあるため、「なぜ」を常に考えながら勉強していくと実力もついていくと思います。 
医薬品開発と規制の知識
生物統計家は、統計解析の専門家であると同時に、医薬品開発のプロセスを理解している必要があります。
臨床試験の流れ
- 第I相試験:安全性と薬物動態の確認
 - 第II相試験:有効性の探索
 - 第III相試験:有効性と安全性の検証
 - 第IV相試験:市販後調査
 
規制ガイドライン
- FDA/EMAの統計関連ガイダンス
 - ICH E9(統計原則)
 - ICH E6(R2)(GCP)
 - PMDA電子データ提出ガイドライン(日本特有の要件)
 
ICHガイドラインは医薬品の品質・有効性・安全性の各分野のトピックごとに、各メンバ-を代表する専門家が専門家作業部会で協議し、作成しているガイドライン(科学的・倫理的に適切と考えられる指針)のため、一度は目を通して勉強しておくことが必要です。
個人的には日本語のガイドラインを読んだ後、原文英語のものを読むことがおすすめです。理由として、日本語版と英語版で表現が少し変わっている箇所もあり、日本語で大まかな内容を把握した後、英語版を読むことで、更なる理解につながるかと思います。
また、製薬会社やCROで働いている方であるならば、治験実施計画書や統計解析計画書を読みながら、「なぜこのような記載がされているのか」を考えていくことが勉強となります。その理由はガイドラインに沿って記載がされていることが多いため、統計手法と規制要件の関係を理解することができるかと思います。
プログラミングスキルの習得
生物統計家は、解析ソフトを使いこなすだけでなく、再現性の高いコードを書く能力が求められます。
- データ処理(
dplyr,tidyr) - 可視化(
ggplot2) - 統計解析(
survival,lme4) - レポート作成(
R Markdown) 
- データステップとPROC手順
 - 臨床試験データの標準化(CDISC SDTM/ADaM)
 - 出力の自動化(ODS)
 
- コードレビューを受ける習慣をつける
→先輩やAI等に自分が記載したプログラムコードを見てもらい、可読性や再現性を確認してもらうのがおすすめです。 - 公開データセット(例:CDISCのサンプルデータ)で練習
 - 同じ解析をRとSASの両方で実装して比較
→特に下記書籍はR言語とSASの両方の統計手法が実装されておりますので、おすすめです。
https://a.r10.to/hgClTP 
学びを加速させる工夫
英語力強化(統計用語・医薬品開発用語の習得):
英語はガイドラインの原文や論文を読み解く際に必要となる道具です。また、医薬品開発独特の表現や単語も出てきますので、同様に勉強していくことが必要となります。
勉強会や学会に参加(日本計量生物学会、日本臨床試験学会など):
学会や勉強会に参加することで最新の統計手法や規制ガイドラインを学ぶことができます。また、一緒に参加している同僚の人たちとコミュニケーションをとることで自分の知識が洗礼されますし、何より勉強のモチベーションにつながります。そのため、積極的にそのような機会があれば参加していくことが重要かと思います。
論文の統計手法を再現(NEJMやThe Lancetの臨床試験論文):
論文には手法と結果は大体掲載されているのでそこから自分で計算 or 解析プログラムで実装してみることでその統計手法の理解はもちろん、実装の方法、結果の解釈法等様々な知識をつけることができます。
セミナーや臨床統計家育成コースを設けている大学院に応募する:
有名なセミナーとして日本科学技術連盟が主催している統計手法専門コース(通称Bios)に参加することで、統計学の基礎からガイドラインについて学習することができ、模擬臨床試験を参加者たちと立ち上げていき、どのようなことを臨床試験では考えていく必要があるのかを実際に体感することができます。(ちなみに私もBiosは卒業しており、とても有意義だったと感じております。)
また、臨床統計家育成コースを設けている大学もありますので、そこに参加して勉強することもよいかと思います。
まとめ
生物統計家を目指す道は、単なる統計学習にとどまらず、医薬品開発の全体像、規制要件、プログラミング、そして人との協働まで含む総合的な学びの旅です。
重要なのは、「知識を現場で使える形にする」こと。
基礎を固め、実務に近い形で練習し、常に最新のガイドラインや技術動向をキャッチアップすることで、確実にステップアップできます。
個人的には同僚でも大学の同期や友達でもよいので一緒に勉強していく仲間を見つけることがよいかと思います。お互い切磋琢磨することで理解も深まり、モチベーションにもつながるためです。狭い業界ではありますので、よい仲間を多く見つけてもらえれば幸いです。





