はじめに
臨床研究や疫学研究において「バイアス」は避けて通れない課題です。特に製薬業界では、治験や市販後調査(PMS)、リアルワールドデータ(RWD)解析など、多様なデータソースを扱う中で、交絡・選択・情報バイアスといった要因が結果を歪める可能性があります。こうしたバイアスを「存在するかもしれないリスク」として曖昧に扱うのではなく、定量的に評価し、研究結果の解釈に組み込むことの重要性が強調されています。本記事では、その考え方を製薬業界の実務に落とし込み、さらにR言語を用いた実装例を交えて解説します。
バイアスを「見える化」する意義
製薬業界における意思決定は、しばしば「不確実性」との戦いです。例えば:
- 新薬の有効性を示す観察研究で、交絡因子(例:併用薬、基礎疾患)が十分に調整されていない
 - 市販後データで安全性シグナルを検出する際、報告バイアスや選択バイアスが影響している
 - 国際共同研究で、国ごとの診療慣習の違いが結果に影響している
 
こうした状況で「バイアスがあるかもしれない」と言うだけでは、意思決定に活かせません。どの程度のバイアスが結果を動かし得るのかを定量化することで、研究結果の信頼性をより科学的に議論できるのです。
製薬業界でよく問題となるバイアスの例
製薬業界では以下のようなバイアスがよく出てきます。
- 交絡バイアス
- 例:降圧薬の効果を評価する際、患者の生活習慣や併用薬が交絡因子となる。
 
 - 選択バイアス
- 例:市販後調査で重症例が報告されやすい。
 
 - 情報バイアス
- 例:電子カルテデータで曝露やアウトカムの記録精度に差がある。
 
 
これらを「想定できるバイアス」として定量化するアプローチの一つが感度分析(sensitivity analysis)です。
感度分析について
定義:研究結果が、未測定交絡や仮定の違いに対してどの程度「頑健(ロバスト)」かを検証する手法。
目的:観察された効果が「本当に曝露の影響なのか」、それとも「未測定交絡やバイアスで説明できるのか」を定量的に評価する。
代表的な方法:
- E-value:観察された効果を説明するために必要な未測定交絡の強さを数値化する。
 - シナリオ分析:交絡因子の分布や強さを仮定し、結果がどの程度変化するかを検証する。
 - 感度パラメータ法:未測定交絡の影響をパラメータ化し、推定値の変動を評価する。
 
製薬業界では、規制当局や社内レビューの場で「この結果は未測定交絡で覆る可能性があるか?」と問われることが多く、感度分析はその答えを科学的に提示するための有効な手段となります。
交絡因子を考慮しないと、曝露とアウトカムの関係が歪んでしまいます。
それについては、DAGで表してみたいと思います。

- 年齢が高いほど治療を受けやすく、同時にアウトカム(イベント発生)にも影響する。
 - この「バックドア経路」を閉じる(=年齢で調整する)ことで、治療の純粋な効果を推定できる。
 
Rで実装する「バイアスの定量化」
ここでは、交絡バイアスを例に、Rでの実装例を紹介します。
set.seed(123)
n <- 2000
age <- rnorm(n, mean = 60, sd = 10)
treatment <- rbinom(n, 1, prob = plogis((age – 60)/10))
outcome <- rbinom(n, 1, prob = plogis(-0.5treatment + 0.03(age – 60)))
data <- data.frame(age, treatment, outcome)
以下のような単純な解析(交絡を無視)を行うと、治療効果は過大評価される可能性があります。
model_naive <- glm(outcome ~ treatment, data = data, family = binomial)
summary(model_naive)
model_adj <- glm(outcome ~ treatment + age, data = data, family = binomial)
summary(model_adj)
→ 年齢を調整することで、より妥当な推定が得られる。
install.packages(“EValue”)
library(EValue)
or <- exp(coef(model_adj)[“treatment”])
ci <- exp(confint(model_adj)[“treatment”, ])
evalue(est = or, lo = ci[1], hi = ci[2], true = 1)
E-value を用いると、観察された効果が未測定交絡によって説明される可能性を定量化できます。
感度分析の解釈:
- E-valueが大きいほど、未測定交絡で結果が覆る可能性は低い。
 - 小さい場合は、結果の解釈に慎重さが必要。
 
実務での活用ポイント
- 規制当局との対話
- PMDAやFDAとのやり取りで、「未測定交絡の影響をどの程度考慮したか」を定量的に示すと説得力が増す。
 
 - 社内意思決定
- 開発中止や追加試験の要否を判断する際、バイアスの影響を数値で示すことで合意形成が容易になる。
 
 - 論文・学会発表
- 「限界」を単に列挙するのではなく、どの程度の限界かを示すことで、研究の透明性と信頼性が高まる。
 
 
まとめ
今回は定量的にバイアスを評価することについて解説いたしました。
臨床研究や疫学研究において、バイアスは常に存在し得るものであり、完全に排除することは困難です。しかし、重要なのは「バイアスがあるかもしれない」と曖昧に留めるのではなく、どの程度のバイアスが結果を左右し得るのかを定量的に評価する姿勢です。
製薬業界では、新薬の有効性や安全性を示す研究成果が、規制当局や社内の意思決定に直結します。そのため、研究結果の信頼性を高めるためには、交絡や選択といったバイアスを想定し、その影響を数値で示すことが不可欠です。感度分析やE-valueといった手法は、未測定交絡の影響を「見える化」し、結果のロバスト性を議論するための強力なツールとなります。
R言語を用いた実装例のように、実務レベルで簡便に適用できる方法も整備されており、研究者自身が自社データや公開データに対して試すことが可能です。こうした取り組みは、規制当局との対話を円滑にし、社内での合意形成を助け、さらに論文や学会発表においても透明性と説得力を高めます。
つまり、「想定できるバイアスを定量化する」ことは、単なる統計的な工夫ではなく、製薬業界におけるエビデンス創出の質を高め、意思決定を科学的に支える基盤なのです。今後は、傾向スコア解析やインスツルメンタル変数法などの因果推論手法と組み合わせることで、より精緻で信頼性の高い研究が可能になるでしょう。












