はじめに
製薬業界における臨床研究や疫学研究では、交絡因子の存在が因果推論を難しくします。特に市販後のリアルワールドデータ(RWD)を用いた研究では、ランダム化比較試験(RCT)のように交絡を完全に制御することは困難です。
そこで注目されるのが「操作変数(Instrumental Variable: IV)」を用いた因果推論です。本稿では、操作変数の基本概念から、製薬分野における応用事例、実務上の課題までを整理します。
操作変数とは何か
操作変数とは、曝露(薬剤使用など)に影響を与えるが、アウトカム(疾患予後など)には直接影響を与えない変数です。
これにより、交絡因子を統計的に制御できない場合でも因果効果を推定できます。
独立性(Independence)
操作変数は交絡因子と独立である必要がある。
例:処方傾向は患者の生活習慣や重症度と無関係である。
関連性(Relevance)
操作変数は曝露と強く関連している必要がある。
例:医師の処方傾向が患者の薬剤使用に影響する。
排除制約(Exclusion Restriction)
操作変数はアウトカムに直接影響を与えてはならない。
例:医師の処方傾向が患者の疾患予後に直接影響しない。

DAG(Directed Acyclic Graph)を用いると上記のように記載できます。操作変数は「交絡因子を迂回して因果効果を推定する」ための鍵となります。
製薬分野における応用事例
希少疾患治療薬の承認適応拡大
- Pfizer社のIBRANCE(パルボシクリブ)は、男性乳がん患者への適応拡大に際し、RCTではなくRWD解析が主要な根拠となりました。
 - 患者数が少なくRCTが困難な領域で、電子カルテデータや市販後データを活用。
 - 医師の処方傾向や施設差を操作変数として利用し、交絡を制御しつつ有効性を推定しました。
 
日本製薬企業におけるRWE活用
- 中外製薬は、電子カルテやレセプトデータを活用したRWE創出を推進。
 - 操作変数法は、処方傾向や制度改定を利用した自然実験的解析に適しており、医薬品の臨床開発効率化や市販後安全性評価に応用されています。
 
外部対照群としてのRWD活用
- 開発スピードを加速し、規制当局への申請を可能にしています。
 - 希少疾患治験では、RCTの対照群を十分に確保できない場合があります。
 - この際、RWDを外部対照群として利用し、操作変数を組み合わせることで交絡を補正。
 
規制当局の視点:FDAとPMDAのRWEガイダンス
製薬企業がRWEを承認申請や安全性評価に活用する際、規制当局のスタンスを理解することは不可欠です。
- FDA(米国食品医薬品局)
2023年8月に最終化されたガイダンス
“Considerations for the Use of Real-World Data and Real-World Evidence To Support Regulatory Decision-Making for Drug and Biological Products” において、FDAは「RWD/RWEを規制上の意思決定に活用する際には、データの信頼性・妥当性・透明性を確保することが必須」と明記しました。
これは操作変数法を含む因果推論的アプローチを用いた解析にも直接関わる指針です。 - PMDA(医薬品医療機器総合機構)
PMDAも国際的な協調の中でRWE活用を推進しており、ICMRAステートメントでは「規制上の意思決定にRWEを用いるための国際協力を強化する」と述べています。
また、日本製薬工業協会の整理によれば、日米のガイダンスは「承認申請におけるRWE活用の可能性を広げる方向で整合性を高めつつある」とされています。 
これらの動きは、製薬企業が操作変数を用いた因果推論をRWE解析に組み込む際の後押しとなります。
実務上の課題と限界
操作変数法は強力ですが、万能ではありません。実務での留意点を整理します。
- 強い操作変数の確保が難しい
曝露との関連が弱いと推定が不安定になる(弱いIV問題)。 - 排除制約の検証が困難
操作変数がアウトカムに直接影響しないことを証明するのは難しい。 - 解釈の制約
操作変数法で得られるのは「局所平均処置効果(LATE)」であり、必ずしも全体集団に一般化できない。 
まとめ
製薬業界における臨床研究や疫学研究では、交絡因子の存在が因果推論を難しくし、特に市販後のリアルワールドデータ(RWD)を用いた解析ではその影響が顕著です。操作変数(Instrumental Variable: IV)は、曝露に影響を与えつつアウトカムには直接影響しない変数を利用することで、交絡を統計的に制御できない状況でも因果効果を推定できる強力な手法です。
製薬分野では、医師の処方傾向、地域や施設の治療方針、制度改定や薬価変更といった要素が典型的な操作変数として機能します。これにより、希少疾患治療薬の有効性評価や市販後の安全性検証、外部対照群を用いた開発加速など、実務的に重要な課題に応用されています。
一方で、操作変数法には「強いIVの確保が難しい」「排除制約の検証が困難」「推定される効果が局所平均処置効果(LATE)に限定される」といった制約も存在します。そのため、実務では複数のIVを用いた堅牢性検証や感度分析が不可欠です。
規制当局もRWE活用を積極的に推進しています。FDAは2023年に最終化したガイダンスで、RWD/RWEを規制上の意思決定に活用する際の信頼性・妥当性・透明性の確保を強調しました。PMDAも国際協調の中でRWE活用を推進しており、承認申請や安全性評価におけるRWEの役割は今後さらに拡大すると見込まれます。
総じて、操作変数法は「交絡を制御できない観察研究における切り札」であり、製薬業界におけるRWE戦略の中核を担う手法です。研究者・実務者がこのアプローチを習熟することは、今後の医薬品開発や規制対応において不可欠なスキルとなるでしょう。
参考
- 日本製薬工業協会「日米におけるRWD/RWE利活用に関連するガイダンスの比較」
 - PMDA「規制上の意思決定にリアルワールドエビデンス(RWE)を用いるための国際協力に関するICMRAステートメント」
 - FDA「Considerations for the Use of Real-World Data and Real-World Evidence To Support Regulatory Decision-Making for Drug and Biological Products」(2023年最終ガイダンス)
 












